熊ノ平駅は、横川~軽井沢間の中間停車場として造られましたが、昭和38年の碓氷新線の開線によって廃止されました。
これにより、熊ノ平駅は駅から信号場となってしまいましたが、平成9年には長野新幹線の開通によって、
「あさま37号」を最後に横川-軽井沢間が廃止され、完全にその機能を停止しました。
碓氷峠は、事故や災害で多くの犠牲が出てしまった場所でもあり、昭和25年6月9日には山崩れにより多くの命が犠牲となりました。
二次災害も発生し、復旧作業中の職員と職員宿舎にいた家族約50名の方が亡くなりました。
また、ブレーキの故障により、機関車4両が脱線、転覆し乗務員が重軽傷を負う事故も発生しています。
1891年3月19日から始まった碓氷峠のアプト線の工事は、わずか1年9ヶ月で完成となりましたが、
大きな事故も頻発し、500人あまりの犠牲者も出ました。
現在もトンネルやホームなどの遺構が残っています。